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2018 7/11【 50代の僕がバイクを楽しむことを考える 】


相変わらずバイク事故のニュースが後を絶ちません。

特に50代ライダーが大型バイクに乗って・・・・というケースばかりが目立って多いようです。

つい先日も同年代の著名な方がツーリング中の事故で亡くなられた話を聞きました。


僕が16からバイクに乗り続けて今まで生きているのはタマタマのことなのか、若いころを考えるとタマタマかもしれないですが、57歳になって50代を振り返った時どうもそうでは無いような気がします。

ずっと間を開けずにバイクに乗っている僕も子供の小さい頃は仕事も忙しく、バイクに乗るのも何とか時間を作って家族の様子を見ながらでした。

バイクの仕事をしていた僕でそうですから、今のバイク人口の大多数を占める50代は、子育てが始まった頃にバイクを諦めた人がとても多く、実際に一緒に走った友人たちも皆バイクを降りて乗っているのは僕だけになりました。

当時降りてしまった友人と話すとほぼ全員、また乗りたいといっていました。空前のバイクブームでしたし忘れられない思い出となって残っているのでしょう。


そして50代となって子育ても終わり、「やっと乗れるようなった」と久しぶりに会う友人知人が増えてきました。

みんな例外なく何故か大型バイクに乗っています。

「50代ライダ−」と「大型バイク」、最近多いバイク事故のキーワードが出てきました。

何故皆大型を手にするのか、僕の若いころを思い返して考えてみました。




[ 特殊な免許制度時代 ]



ちょうど僕らの世代から2輪の免許は400ccを境に中型と大型に分かれ、僕らはすぐに大型免許を取得できなくなりました。

中型までは教習所で取れましたが、そこから先は運転免許試験場で毎日一発勝負の困難極まりない実技試験を突破しなければなりませんでした。

当時の人たちには大型免許というより限定解除のほうが伝わるでしょうか。

僕は、落ちても落ちてもくじけずに何度も何度も受験しました。

試験場で顔を合わせる人とは「何回目?」が挨拶代わりです。


先輩たちが乗る大型バイクをみるたびに羨ましくてたまりません。

なんでまた自分たちの時にこんな厄介な免許制度になるんや、と生まれた年を恨む毎日(笑)

そんな日々の中、ビッグバイク・大型免許(限定解除)は最高の憧れになっていきました。


2か月の苦難の末、合格。まだ20代でしたが試験場の帰りに中古のリッタ−バイクを手に入れました。(笑)

自慢げに四六時中街をウロウロします。


なんだか1100に乗っていると羨望の目で見られているような妙な優越感、だれでも教習所で簡単に大型免許を取得できる今からは考えられないですよね。

当時の僕の大排気量至上主義的な考え方には、この免許制度が背景にあったからなのかなと今更ながら思うのです。まるで洗脳されていたかのようでした。

リターンライダーの皆さんが迷わず大型バイクを手にされるのはこんな時代背景があったからなのではないでしょうか。


[ やっぱり年老いてる ]



50近くなって改めてまたリッタースポーツを手にしました。

若い時はよかったのですが、

最初のうちはもちろん楽しいのです。この上ない喜びであちこちでかけたくなります。

慣れてくると若いころのようにガンガン攻め込んで・・・・。

「俺ってまだまだいけるで〜」

でも50を過ぎた体、(運動神経・動体視力)と感覚でそのまま走り続けたらどうなるでしょうか。

ここで自分の動体視力の衰えについてお話しますと


特に高速道路を利用する際に感じるのですが、

インターチェンジから高速に入ってすぐは周囲の長距離トラックや車がとても速く見えてしまい、

しばらく走行して慣れると今度は長距離トラックや周囲の車がとても遅く見えてきます。

特にインターチェンジを降りる際の40km/h減速は、前車がまるで止まっているように見えて、近づきすぎて慌ててブレーキを踏むことがありました。

そこからの一般道もまだ遅く見えてしまって、それぞれの速度域に慣れるまでかなりの時間を要していることを実感します。

自分の動体視力はなんていいかげんなものだろうか。

歳とともに感じることで、年々悪くなる一方です。良くなることはありえませんもんね。

高速を降りてからの事故が多発しているのも頷けます。


走っているときは往々にして自分の歳を忘れがちです。

危険な目に遭ってハッと気付く・・・・・生きてて良かった。


そして乗れば乗るほど自分と大型バイクとのギャップが大きくなっていくことに気づきます。

自分が思っている以上に歳をとっていてバイクについていけないのです。

それは最近流行の「ライダーお助け電子制御」をどんなにつけていても人間の衰えは埋まるものではなく、付いてることによる慢心は危険ですらあるような気がします。


この話に関連して、最近、ノースウイングJCさんのサイトでとても良い記事を読みました。

僕より少し若い、同じ限定解除世代のNWJC細川さんの記事「カブ110NWJCコンプリートType3 ツーリングレポート」で僕自身全く同感!と思いました。そしてちょっと心に刺さる内容です。是非下のリンクからご覧ください。

文字をクリックです↓

七馬力紀行:「カブ110NWJCコンプリートType3 ツーリング レポート」





[ NWJC2014仕様スクランブラーに救われる ]





大排気量至上主義から抜け出せたのは空冷スクランブラーNWJC2014仕様との出会いでした。

ですから案外最近のことなんです(笑)

乗るたびになんて気持ちのいいバイクなのだろうと思い大切にしています。


NWJC拘りのメンテナンスでグッドコンディションのバイクが伝えてくる様々な情報を感じ取りながら走らせる楽しさ。今の自分にできることを最大限に駆使していると、決して自分を超えることはありません。

コンディションの良いバイクは「ダメなものはダメ」「滑りやすいから丁寧に減速して」「そっと開けるとトラクションがもっとかかって前にすすめる」等々、色々なことをバイクが教えてくれます。

僕が思う予防安全の本質的なものは、バイクのコンディションとライダーのレベルに応じた一体感によって生み出されることであって、無機質な「ライダーお助け電子制御」では無く、ライダーとしても経験豊富なメカニックが拘りのメンテナンスで、トータルバランスに優れた分かりやすい車両に仕上げることではないかと考えています。


[ 楽しい50代バイクライフのために ]



バイクを楽しんでいると危険なことがいっぱいあります。自転車のように人間が跨り動かして初めてバランスする乗り物に強力なパワーの動力が付いているのですから、そもそも危ない乗り物。

それを楽しもうというのですからそれなりの心構えが必要・・・。


僕がそのことを心に刻みながら走るようになったのもごく最近のことですが、気を付けているのが妙な欲を出さないこと。走行中に頭をよぎる、より速く、より鋭く等の「欲」や「気負い」は命取りですよね。

あと、僕がバイク選びで失敗したのが、「見栄」と「憧れ」。

扱いきれないパワーと巨体は、優越感もあり最初は頑張って乗るのが楽しいのですが、そのうち乗らなくなりました。それは、どこかに違和感を覚えていたのではないでしょうか。

電子制御満載の新型より、電子制御はせいぜい燃料噴射くらいのバイクをお持ちでしたら、グッドコンディションに仕上げることで最高の相棒になるかもしれませんよ。経験上受合います(笑)

そしてこれが一番大切と思うのですが、実際に長年バイクに乗って楽しんできた経験豊富なバイク屋さんとお付き合いされることです。雑誌やネットであふれる情報では得られない本当のことを知っています。良いバイクと長く付き合える唯一の方法と思います。



次回に続きます








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